ベトナム・オフショア開発最新情報(2026年9月)~ベトナム最後の皇帝バオダイとダラット

こんにちは。ISV糸見です。
弊社では日本がお盆休みとなる8月中旬にチームビルディングを兼ねて社員旅行を実施しています。

例年、ビーチリゾートだったのですが、今年は趣を変えてベトナムの軽井沢「ダラット」でグランピングにしました。残念ながら雲海は見れませんでしたが、眼下に広がる素晴らしい山々の景色を見ることができました。

日本ではあまり馴染みのない「ダラット」ですが、ホーチミンから約300キロ、標高1,500メートルに位置する人口25万人の高原都市で、年間を通じて気温は18~20度前後と涼しく、南国ベトナムとは思えない気候で知られています。

フランス植民地時代に避暑地として開発された街で、大きな湖、高い松の木、多くの坂道にコロニアル様式の古い建物が立ち並び、一瞬ベトナムにいることを忘れさせてくれるほど魅力的です。

ダラットは別名「花の街」「愛の都」と呼ばれ、街中には花が多く咲き誇り、バラやガーベラの栽培が盛んで遠くに見える丘陵地には電飾ビニールハウスの灯が幻想的に浮かびます。

南部ベトナムの人々にとっては、新婚旅行や恋人と訪れる憧れの街でもあり、街全体に独特の気品が漂っています。

曲がりくねった坂道にある高い松林の木や、コロニアル様式の赤い三角の瓦屋根が、街全体に立ち込める深い朝霧の中に浮かぶ姿は、息を呑むほど美しく幻想的な光景であり、まさに「愛の都」と言われる所以です。

ベトナム最後の皇帝バオダイも、このダラットをこよなく愛し、中心部の大きな池のまわりの丘陵地にプライベートゴルフ場を造り今でもダラットパレスゴルフ場として運営されています。

ベトナムの大都市の例にもれずダラットも急速に開発されており、古いコロニアル様式の建物が取り壊されたり、大きな松の木が伐採されたり、古き良きベトナムが失われつつあります。

ダナンやフーコック島などのビーチリゾートも良いですが、是非みなさんも花の街、愛の都「ダラット」を訪れてみて下さい。

きっと、いつもと違うインドシナ時代のベトナムを垣間見ることができると思います。

【バオダイ~ベトナム最後の皇帝】

さて昨日9月2日はベトナム建国(独立)記念日でした。
ベトナムの独立とともに歴史の幕を閉じた阮朝(グエン朝)について書いてみたいと思います。

みなさんベトナムのラストエンペラー「バオダイ」をご存知ですか?
バオ・ダイ(保大/Bao Dai)は、阮朝(グエン朝)第13代にして最後の皇帝です。

1913年古都フエで生まれ、幼少期から当時の宗主国フランスへ留学し、
父であるカイディン帝が崩御すると、フランス留学中の1926年に13歳で第13代皇帝に即位します。

その後、1945年の退位まで約20年にわたり阮朝・大南国、そしてベトナム帝国の皇帝として在位することになりますが、独立、革命、冷戦とベトナムの歴史の渦に翻弄されて行くことになります。

即位した当時の阮朝大南国はフランス統治下であり、19歳の時に留学から帰国し皇帝として行政改革を試みましたが、フランス統治下では限界があり、彼の政治理念は直ぐに行き詰まったと言われています。

第二次世界大戦末期の1945年3月、日本軍がフランス勢力を排除しバオダイ帝に独立を宣言させベトナム帝国の皇帝となりますが、これもベトナム人に受け入れられやすい正統な国家を樹立するために、日本軍が象徴である皇帝バオダイを担ぎ出したと言われています。

そして僅か半年後の1945年8月には日本の敗戦に伴い、ホー・チ・ミン率いるベトミン(ベトナム独立同盟)の八月革命により退位し、これによって約143年間続いた阮朝(グエン朝)は終焉を迎えることになります。

その後も、フランスはホー・チ・ミン政権に対抗するため、再びバオ・ダイを政治の表舞台へ呼び戻します。
今度は国家元首に就任することになりますが、これも最終的には約5年で失脚しフランスに亡命。

バオダイの評価は分かれますが、フランス植民地支配から日本統治、そしてホー・チ・ミン革命から南北分裂と激動のベトナム現代史の渦中で翻弄された、華麗なるラストエンペラーであったことは間違いありません。

バオダイは先述の通りダラットをこよなく愛し、バオダイパレスと呼ばれるアールデコ様式の3つの別荘とプライベートゴルフ場を持ち、ダラットで家族と長期生活しながら皇帝としての執務も行っていました。

西洋的な生活様式を好むフランス育ちのバオダイにとって、ヨーロッパのような街並みが続くダラットは理想的な街だったのかもしれません。

一方、複数の愛人とバオダイパレスと呼ばれる別荘の一つにこもり、虎や象の狩猟やゴルフ、豪華な宝飾品の収集など放蕩の限りをつくし、つかみどころのない飄々とした人物とも伝えられ、最終的には国民の支持を得ることができなかったとも言われています。

亡命後、資産のほとんどを浪費したバオダイは、一度もベトナムに帰国することなくパリの質素なアパルトマンで余生を送り、1997年に83歳で死去します。

「私は奴隷国の王になるより、独立国の国民でありたい。」これは廃帝時のバオダイによる退位宣言です。

歴史は勝者によって語られるとの言葉があるように、激動の歴史の影に埋もれてしまった華麗なるラストエンペラーの真意は今となっては分かりません。

ダラットのバオダイパレスを訪れて、消滅した阮朝と古き良きインドシナに想いを馳せるのも一興です。

【オフショア開発からAI活用型開発への転換~パートナー募集】

ベトナム企業のAI導入は前年比39%増です!
世界平均を超えるベトナムのナレッジワーカー(知識労働者)の88%がAIを活用しています。

AIによる生産性向上は歓迎すべき変化ですが、一方でオフショア開発案件は体感ベースで前年比15%以上減少しているように感じています。

これまでオフショア開発の主戦場であったプログラミングやテスト工程は、AIによって代替可能になりつつあり、
これから、どのように変革して行くのかオフショア開発企業にとって、まさに「今そこにある危機」に直面しています。

最近、FDE(Forward Deployed Engineer)という言葉をよく聞くようになりました。
顧客先に深く入り込み、顧客の課題発見からAIシステムの導入・運用まで担当するエンジニアのことです。

ベトナムから日本の顧客先へ入り込むことは物理的に難しいため、日本国内のFDEを通してオフショア開発へという流れが加速して行くのか、今のところ定かではありません。

いずれにしてもAIツールを利用して、より少ない工数で、より多くの案件を開発することが求められそうです。

日本の構造的問題からFDEも含めてエンジニア不足である状況は今後も変わらないと思います。

AIによりプロジェクトの総数は増える一方で、開発要員数は今の半分か1/3 + AIツールで対応して行くことになります。

従来のウォーターフォール型と違って、AI知識はもちろんのこと高い品質意識やマルチタスクをこなせる技量など、
今までのように指示や仕様を待つだけの受け身の姿勢から意識改革して行かなければなりません。

オフショア企業も少数精鋭の体制でAIツールを最大限活用し、より高度な業務を幅広くこなさなければならない時代を迎えています。

弊社も「Claude Code」や「Cursor」など、AIコーディングエージェントを積極的に活用して生産性を向上させています!
AIの普及で、仕様書やチャットの日本語の壁も無くなり、コードレビューやテストなど大幅に生産性が向上しています。

AIでどのように変革して行くか不確実な中、将来を見据えてご一緒にパートナーとして前進していけるお客様は是非ご連絡ください!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

糸見 圭太郎
Keitaro Itomi

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この記事を書いた人

糸見 圭太郎
ISV VIETNAM CO..LTD 代表取締役CEO
1996年に初訪越し在越29年目へ。2007年ISV創業。
ITのチカラでお客様そして社会のDXに貢献します。

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